見たいように見ている
実はしばらく前の手越祐也さんの醜聞がちょっとショックだった。
嵐の口パクを嗤ったという話。
真偽はともかく、人を貶める笑いを楽しむタイプだったっけ?と。
人から笑われてそれを可笑しがっている、そんなタレントだと思っていたから。
でも人が人を分かることはできない。
人は揺らぐ。間違いも犯す。
立場が変われば見せる顔が変わる。
私は見たいように人を見ている。
彼のバラエティでの楽しさも、
ライブでファンに見せる純粋無垢な笑顔も、
数々のポジティブな迷言も、
私にとっては元気の源になった。
今、手越くんのことが
自分には分からない人物のように見えていても、
それは彼が人形ではなく人間だからなのだ、と思う。
見たいように人を見ても、その人は自分がコントロールできるわけではない。
大前提として繰り返し言い聞かせよう。
誰かのファンになるのは、
その人の美質が、自分にとって輝いているから。
庭木にとっての日光や水のようなもの。
今この時の自分の心のままに、心に映るものを喜べばよい。