Side by side

趣味ごと、ぼやきメモ。フィギュアスケートを最近見るようになった人。

この手

誰かを打つ手は、自分を強く打つ。

本気で打ったときにそれが分かった。

この手で握るときも、打つときも、いつ何時人生の交差点で交わったときも

本気で臨む。この手を決して後悔させない。

そのために真っ直ぐに走るのだ。言葉を選ぶのだ。痛みながら自らを研磨するのだ。

教わったこと

備忘録的な、、、

熱烈なファンとは程遠い、お茶の間の野次馬ファンでしかないが、

手越さんを眺めていて、教わったことがある。

 

人は「こうだったらいいな」と人に対して思うが、

それを度々真っ向から否定される。

想像よりも人は自己中にできていて、

人生のストーリーは美しくなく、醜い形をしている。

それでも、人は人に期待して、また突きつけられる。

 

どんな人であれ、そうだ。

手越さんの場合、知名度もあり、彼の性格もあってとても見えやすい。

一筋縄にはいかない。

その人がその人である限り、人の期待の範疇に、人は永遠に入らない。

立つ鳥

ゆるく応援している手越くんは跡を濁して事務所を辞めた。

彼は精力的に活動している。

後はないし、先も見えない人生を彼は選択した。

負けてはいないが、勝っているわけでもない。

ある意味ただの大洞吹きのコンプラNGのKYかもしれないが、

さて果たしてどういう未来が待っているだろう。

 

いつの間にか安定的な未来しか許せなくなる。

かつてそうだったが、今は、結果が見えないチャレンジをする人が好きだ。

自分の心のまま、

高校1年生の春に戻って、旗を掲げよう。

人生は開いている。自分だけの暖簾を未来に向かって掲げよう。

背中で語る

背中で語るなんて、いつの時代の役者のことを言うのだろう。

今ハマっている「雲霧仁左衛門」、中井貴一の素晴らしき演技。

軽妙に社食の紹介をしているだけじゃなかったのねというギャップもまたいい。

かっこいい「おカシラ」をいつだって望んでいるけれど、

ピタリとこの役をできる人は少ない。

手垢のついた顔をしている人はダメだし、

動作がうるさい人も向かない。

静かでいることが演技になるというのは、凄いものだ。

沈黙は金、

沈黙できる役者にも台本にも、ささやかな視聴者の一人として金星を差し上げたい。

生きる

ウィルス騒ぎは、色んな物事を早送りにしていく。

政府も、相場も、職場も、生活も。

 

人が人を語るとき、

三つ子の魂百まで、などという。

人生において、ビジネスにおいて、一度ついたバッテンは消えない

30を過ぎれば、諦めも入る。

物事は早くなっても、人そのものはゆっくりしたものだ。

 

だけど成長が鈍い歳になっても山はあり谷はあり生がある。

悪心に揺れることも、正解のない迷路に入ることも、ある。

失敗、バッテン、取り返しのつかない毎日があり、

明日戦い明日戦い、成長する瞬間は生きている限りある。

 歪な道を肯定しよう。

歪な人生を受け入れよう。

 

100年は長い。

長く長く生きることを前提にあがき続ける以外、

何ができる。

 

休み見上げる山

少し一服して、もう一度と見上げると、山がうんと高くなる。

どれくらい早く走っていたか、思い出そうとして

うんと空回りして一週間が飛ぶように過ぎる。

毎週何かをなして生きたい。

それがあがく自分の今の目標だ。泥臭く湿った自分の感覚を付けたい。

 

そういえば、ツイッター

先月?

往年大好きだったXのボーカルとテゴマスのコラボを聴いた。

いいなあ、と思う。歌をいつまでも歌える人は幸せだな。

夏の名勝負

甲子園を見るようになるとお盆が終わる。

今年は星稜高校智辯和歌山の勝負に手に汗握った。

勝戦ではないし、明日も甲子園は続くのだが、

何だか「今年の甲子園」を丸ごと味わったような、素晴らしい戦いだった。

ヒットで上回りながらも守備でエラー、攻めで盗塁失敗と、はらはらの星稜の攻め。

一方、奥川投手に押されながら、1点をもぎ取って何度も好守を見せた智辯

途中からは池田投手と奥川投手の投げ合いになった。

どちらも凄いピッチャー。

印象に残ったのは、延長に入り打者奥川選手に投げた池田投手の笑顔だ。

これまでポーカーフェイスだった彼が、とても楽しそうに笑った。

奥川投手もいい顔をしていた。

下心が何にもない、戦いそのものが楽しいという顔。

解説の人が、「いい雰囲気ですね」とコメントをする。

勝つか負けるか、今ひとときを懸けて戦いながら、

とても美しい時間が訪れることがある。

どちらのチームも応援しながら、おすそ分けをもらったような気分。

いい夏の一日だった。