歪さと純粋さ
私が今どんな風に気になっているか、を書き留めておこうと思う。
何年かまだ演技を見られそうだから、きっと印象も変わっていくだろう。
まず、見栄えのいい体格の選手ではない。
恵まれた体格の選手と比べれば、身長も低ければ、手足も短い。
でも氷の上でくるくる回り始めると、彼は大きく見えるし、美しくなる。
演技のところどころで、歪さと激しさと美しさが混在する。
時には、全てが純粋な何かに包まれているような演技をする。
それがとても気に入ったところだ。
フィギュアスケートというマイナーで浮世離れした「スポーツ」は、スケート技術と音楽を伝える表現のせめぎ合いで競い合う。
氷の上で舞台を作り上げる人もいるし、音楽になりきる人もいるし、その人そのものをさらけ出す人もいる。技術を見せる手段が音楽である人もいれば、音楽をあらわす手段が技術になっている人もいる。
色々なタイプが競い合うから面白いのだろう。
宇野昌磨選手は、音楽の持つ空気を、空間的にあらわすことに長けている選手だ。
彼の周りに漂う音色、音の持つ波動が、身体表現としてあらわれてくる。
見ていると気持ちがいい。
観客を楽しませて巻き込んでいくタイプではない。
あまりナルシシズムも感じさせない。
獅子舞を見ているような?
体格やタフさは、スコイトさんに似ているのかしら。
誰にも似ていない個性あふれる演技を、これから数年間、楽しめたらと思う。